第4回「なぜ犯罪を犯してはいけないか?」

「頭の回る子供が親に聞いて困らせる質問のひとつに『なぜ犯罪を犯してはいけないか?』がありますが、理由を答えてください」

[私の考え]

この問題はいくつかの視点で考えられると思いますが、今回は『社会全体』の視点から考えます。

社会を成立させるためには基盤となるルールが必要です。例えば隣人を傷つけない、迷惑行為を慎むなどが挙げられます。各々が自分の利益だけを追求して、他者が傷つくことは厭わないという状態では社会を形成することはできません。ですから、法律を遵守するということは社会で生きていくための義務といえます。義務を果たさずに権利を主張することはできない、これがこの問題の根幹だと思います。

私たちの生活は他者の仕事によって支えられています。例えば電気、水道といったインフラや家庭ゴミの処理などです。食べ物を考えても自分で用意したものはほとんどなく、製造から運送まで全て他者に頼っています。

あらゆる仕事は社会への貢献とみなせるでしょうが、私たちはこの貢献あるいは労働を金銭を介して物品やサービスと交換します。この一連の流れに参加する権利が、上記の犯罪を犯さないなどといった義務を果たすことで保障されているわけです。

現実問題として私たちは一人では生きていけません。より正確には一人では今の生活を維持できません。

今の生活が社会に全面的に依存している以上、原始的な生活に戻りたくなければ社会の一員であり続けなければなりません。そのために、犯罪は犯してはならないのです。

[以下脱線した議論]

では、原始的な生活に戻り衣食住全て自分で賄えば犯罪を犯していいのでしょうか?

社会に依存していないのだからルールを守る必要はないというロジックです。しかし我々の社会は「害を成す者は排除してよい」という了解があります。人里に下りてきた熊などがそうですね。彼らは社会からほとんど恩恵を受けずに生活していますが、ひとたび人間を襲えば射殺されてしまいます。

この場合主張できるのは、「相互に干渉しないこと」だけです。「一切を自分でやるし手も出さないから、そちらも義務を押し付けないでくれ」ということですね。

では社会に害を成さない犯罪に関してはどうか?例えば麻薬ですね。これを自分で育て、自分で消費するといった行為。

私個人の意見ですが完全に社会から独立していて、かつ社会に対して害を成していないのですから、この人を法律の下で裁くというのは間違っているかと思います。

もちろん作った薬が社会に出回る可能性もゼロではないので不安の種は早めに摘もうという考え方もできますが、これはあまりにも利己的ではないでしょうか。

同様のことはもっと大きなスケールでも考えられます。上では個人を考えましたが、ある国家から見ると別の国家は自分の社会とは独立したものでしょう。貿易や人の行き来があるので完全に分離はしていませんが。

そのような場合に自国のルールに則って相手を非難するのはいざこざの原因になります。例として鯨やイルカの漁が挙げられます。ひとつの国から国際社会へ範囲を広げるとき、同時に何をもってルール違反とするかの取り決めも見直さなければいけません。共通の了解を作るのは難しいことですし、合意の下でも他の国には眉をひそめられる文化があるかもしれません。そのとき利己的になり過ぎていないか自分に問えること、これが大事なのではないかと思います。