第2回「AIを恐れるべきか?」

(画像注)ラダイト運動で織機を破壊する人々)

今回は囲碁将棋棋士とAIについて書かれた記事を参考に以下のテーマで回答を書いてみようと思います。

「AIの進歩は目覚しく、いずれ人間の職を奪うのではないかとも言われています。私たちはこれを恐怖と捉えるべきでしょうか?」

[私の考え]

恐れる必要はないと思います。なぜならばAIの導入によって代替されるのは単純作業であり、人間の真価はそこにはないと考えるからです。

19世紀にラダイト運動がありました。

ラッダイト運動 - Wikipedia

これは産業革命のころに織物業界への機械参入によって、職を奪われると考えた職人たちが機械を壊してまわったというもので、今考えている問題と非常に似ています。彼らも「人間が行う仕事がなくなる」と怯えたわけです。

ではそれから200年経った現在、機械の導入で人間の職が無くなったでしょうか?答えはNoです。もちろん靴下や衣類の製造は機械化されましたが、例えば製造機械の開発や整備など機械の導入に付随する多くの仕事が生まれ多くの人が従事しています。またITエンジニアなど19世紀には想像もできなかった仕事も生まれています。

ここから分かるのは、人間には新しい仕事を創造する力があるということです。

機械やAIが何でもできる恐ろしいものである(ようにみえる)ことは、同時にそれらを使ってなにか新しいものを始める、作り出せる可能性も高いということです。人間の仕事はまさにその「なにができるか?」を考える部分にあると思います。現在の職を失ったとしても、新しく生み出された仕事が受け皿となり本当の意味で仕事がなくなる日はまだまだ遠い未来だと考えています。

とはいえ、仕事の内容が知能面でどんどん高度化していくのは間違いありません。ですが日々の雑事を機械がこなしてくれるので、人々は必要となる知識や技能の習得に今以上の時間を費やせるはずです。そうやって社会全体がどんどん賢く、高度化していくというのは非常に望ましいことだと私は思います。

[ひとことコラム]

以前、人工知能の開発に携わっている方の公演に行ったとき同様の質問が出たことを思い出しました。その方は「することがなくなったら、猫みたいに哲学して生きるかな」と笑ってらっしゃいました。面倒ごとは機械に任せて、本を読んだりしてのんびりと暮らす未来が理想ですが、機械がどれだけ発展しても人々は新しく仕事を見つけてあくせくと働いてそうですね。