むずかしい

ブログに上げる文章は打ちながら考えているのですが、今回挙げた記事のように書いてる途中に脱線してしまうという難点があります。(脱線してからが楽しいという意見もある)

別に紙を用意しておおまかなあらすじを決めてしまうというのがいいのかもしれませんが、面接形式を守るなら考えながら打つほうがいいですよね。

というか載せているものは書いてる途中に推敲したものなので、まだましになっていますが、これを口頭でやると思うと言葉選びや文章構成がめちゃくちゃになりそうです。

論理的に話すというのは難しいですね。

あと自分の立場を明確にするために「AかBか」という問題には「Aが正しい」と決めて文章を書いていますが、これはBを否定するものではなく、あくまでこういう考え方もあるのかというスタンスで理解してもらえると幸いです。

面接などの短時間で意見を述べる場合は立場をはっきりさせることが大事だと思いますので。

第4回「なぜ犯罪を犯してはいけないか?」

「頭の回る子供が親に聞いて困らせる質問のひとつに『なぜ犯罪を犯してはいけないか?』がありますが、理由を答えてください」

[私の考え]

この問題はいくつかの視点で考えられると思いますが、今回は『社会全体』の視点から考えます。

社会を成立させるためには基盤となるルールが必要です。例えば隣人を傷つけない、迷惑行為を慎むなどが挙げられます。各々が自分の利益だけを追求して、他者が傷つくことは厭わないという状態では社会を形成することはできません。ですから、法律を遵守するということは社会で生きていくための義務といえます。義務を果たさずに権利を主張することはできない、これがこの問題の根幹だと思います。

私たちの生活は他者の仕事によって支えられています。例えば電気、水道といったインフラや家庭ゴミの処理などです。食べ物を考えても自分で用意したものはほとんどなく、製造から運送まで全て他者に頼っています。

あらゆる仕事は社会への貢献とみなせるでしょうが、私たちはこの貢献あるいは労働を金銭を介して物品やサービスと交換します。この一連の流れに参加する権利が、上記の犯罪を犯さないなどといった義務を果たすことで保障されているわけです。

現実問題として私たちは一人では生きていけません。より正確には一人では今の生活を維持できません。

今の生活が社会に全面的に依存している以上、原始的な生活に戻りたくなければ社会の一員であり続けなければなりません。そのために、犯罪は犯してはならないのです。

[以下脱線した議論]

では、原始的な生活に戻り衣食住全て自分で賄えば犯罪を犯していいのでしょうか?

社会に依存していないのだからルールを守る必要はないというロジックです。しかし我々の社会は「害を成す者は排除してよい」という了解があります。人里に下りてきた熊などがそうですね。彼らは社会からほとんど恩恵を受けずに生活していますが、ひとたび人間を襲えば射殺されてしまいます。

この場合主張できるのは、「相互に干渉しないこと」だけです。「一切を自分でやるし手も出さないから、そちらも義務を押し付けないでくれ」ということですね。

では社会に害を成さない犯罪に関してはどうか?例えば麻薬ですね。これを自分で育て、自分で消費するといった行為。

私個人の意見ですが完全に社会から独立していて、かつ社会に対して害を成していないのですから、この人を法律の下で裁くというのは間違っているかと思います。

もちろん作った薬が社会に出回る可能性もゼロではないので不安の種は早めに摘もうという考え方もできますが、これはあまりにも利己的ではないでしょうか。

同様のことはもっと大きなスケールでも考えられます。上では個人を考えましたが、ある国家から見ると別の国家は自分の社会とは独立したものでしょう。貿易や人の行き来があるので完全に分離はしていませんが。

そのような場合に自国のルールに則って相手を非難するのはいざこざの原因になります。例として鯨やイルカの漁が挙げられます。ひとつの国から国際社会へ範囲を広げるとき、同時に何をもってルール違反とするかの取り決めも見直さなければいけません。共通の了解を作るのは難しいことですし、合意の下でも他の国には眉をひそめられる文化があるかもしれません。そのとき利己的になり過ぎていないか自分に問えること、これが大事なのではないかと思います。

第3回「日本人の英語力を上げるには?」

TOEICのスコアをみると日本人の英語力はアジア圏でも特に低いですが、これを解決するにはどうしたらよいでしょうか。」

参考:

https://www.ets.org/s/toeic/pdf/ww_data_report_unlweb.pdf

[私の考え]

企業の取り組みではなく教育機関による取り組みが重要だと思います。企業による取り組みは短期的かつ個人的なものになる可能性が高く、またすでに企業で働いているため、英語力が向上した人々が若い世代に教育で還元していく可能性が低いからです。

社会に出る前の教育段階にいかに英語力を伸ばすか、そのノウハウをどう次世代に還元していくかが重要になると思います。

例としてセンター試験あるいは大学入試の英語をTOEICあるいはTOEFLに変える、大学の英語の講義の成績に上記試験のスコアを反映させるなどが考えられます。

中学校(あるいは小学校)から始まる英語教育が成果を上げていない理由は、従来の教育がセンター試験や大学入試といった日本人のみが受ける試験に特化しているからではないでしょうか。

現在の英語教育はセンター試験や大学入試で高得点を取ることに注視していますが、そういった努力は残念ながらTOEICTOEFLのスコアに反映されていません。

現在の日本では、日本学生の優劣を決めるひとつの指標としてしか英語を使っていないのではないかと思います。

英語力を測るという視点では日本人だけが受ける試験は適しておらず、世界で広く実施されている試験で評価すべきでしょう。特に英語を公用語とする人々が受ける試験が望ましいと思います。

というのは公用語で使っている人々が試験を受けることで、試験内容がより洗礼されていく期待が持てるからです。笑い話で日本人が受ける学校の試験を外国人が受けたらさっぱり解けなかったという話がありますが、そういった「身内だけで通じる、世界では使えない英語力」は不要なものなので試験のスコアに反映されないことが望ましいでしょう。

TOEICTOEFLが英語力を測る指標として一番良いとは言いませんが、少なくとも国内の試験よりは「身内だけで通じる、世界では使えない英語力」が排除されているのではないかと思います。

それらの試験で高いスコアを取ること、そのための教育というのは若い世代の英語力の向上に役立つのではないかと私は考えています。

 

 

第2回「AIを恐れるべきか?」

(画像注)ラダイト運動で織機を破壊する人々)

今回は囲碁将棋棋士とAIについて書かれた記事を参考に以下のテーマで回答を書いてみようと思います。

「AIの進歩は目覚しく、いずれ人間の職を奪うのではないかとも言われています。私たちはこれを恐怖と捉えるべきでしょうか?」

[私の考え]

恐れる必要はないと思います。なぜならばAIの導入によって代替されるのは単純作業であり、人間の真価はそこにはないと考えるからです。

19世紀にラダイト運動がありました。

ラッダイト運動 - Wikipedia

これは産業革命のころに織物業界への機械参入によって、職を奪われると考えた職人たちが機械を壊してまわったというもので、今考えている問題と非常に似ています。彼らも「人間が行う仕事がなくなる」と怯えたわけです。

ではそれから200年経った現在、機械の導入で人間の職が無くなったでしょうか?答えはNoです。もちろん靴下や衣類の製造は機械化されましたが、例えば製造機械の開発や整備など機械の導入に付随する多くの仕事が生まれ多くの人が従事しています。またITエンジニアなど19世紀には想像もできなかった仕事も生まれています。

ここから分かるのは、人間には新しい仕事を創造する力があるということです。

機械やAIが何でもできる恐ろしいものである(ようにみえる)ことは、同時にそれらを使ってなにか新しいものを始める、作り出せる可能性も高いということです。人間の仕事はまさにその「なにができるか?」を考える部分にあると思います。現在の職を失ったとしても、新しく生み出された仕事が受け皿となり本当の意味で仕事がなくなる日はまだまだ遠い未来だと考えています。

とはいえ、仕事の内容が知能面でどんどん高度化していくのは間違いありません。ですが日々の雑事を機械がこなしてくれるので、人々は必要となる知識や技能の習得に今以上の時間を費やせるはずです。そうやって社会全体がどんどん賢く、高度化していくというのは非常に望ましいことだと私は思います。

[ひとことコラム]

以前、人工知能の開発に携わっている方の公演に行ったとき同様の質問が出たことを思い出しました。その方は「することがなくなったら、猫みたいに哲学して生きるかな」と笑ってらっしゃいました。面倒ごとは機械に任せて、本を読んだりしてのんびりと暮らす未来が理想ですが、機械がどれだけ発展しても人々は新しく仕事を見つけてあくせくと働いてそうですね。

第1回「ひきこもりはどうしたら減りますか?」

第1回は表題「ひきこもりはどうしたら減りますか?」新聞のコラムに触発されて選びました。

[新聞の簡単な要約]

・イタリアで引きこもりが増加している。推計10万人。

・学校、カウンセラーなどが充実していない。そもそも引きこもりという状態が社会的に認知されていない。

・ネット上での議論が活発化。日本での引きこもり現象が参考にされている。

[私の考え]

引きこもりを減らすには彼らの消費を増やせばいいと思います。

ここで言う消費とは食事など日々の生活に不可欠なものではなく娯楽に関するものです。

引きこもりは「なにもない部屋」に引きこもっているわけではありません。彼らの部屋には携帯やパソコンなどインターネットにアクセスできるツールがあり、それらを使って動画をみたり、ブログをみたりすることで時間を潰している人が多いかと思います。

インターネットは彼らの娯楽と言えるでしょう。一部の人はそれに楽しみを見出しているはずです。そこの消費を増やそうというのが上のアイデアです。

安直な手として無料だった動画サイトを有料にする方法があります。しかしこれは消費の拡大につながるとは思えません。なぜなら競合する他のサービスに利用者が流れる可能性が高いからです。このようにサービスの利用権に課金するのは得策とは言えません。

では、どうやって消費を増やすか。例えば日本のコミックマーケットやニコニコが開催している各種イベントが参考になります。すなわち定期的に大規模な「お祭り」を開催するといいと思います。普通のイベントと異なり、ネット上のユーザーを対象にしているため引きこもりの人々の関心が集められること、また「お祭り」という特性上、発生するお金の消費に嫌悪感を抱きにくいというのが利点です。

お祭りに参加して存分に楽しむためには親から貰うお金だけでは難しいでしょう。そこで引きこもりの人々が社会にでて働くことが期待できます。生活費のためではなく、娯楽のために働くのでモティベーションも保ちやすいかもしれません。

お金のかかる欲求はお金をかけなけば解消できません。この「お金のかかる欲求」をどのように生み出すかが難しい部分であり、アイデアが試される部分でもあります。

金銭的に圧力をかけたり、社会的に「引きこもりはよくない!」という風潮を広めるのはあまり効果がないでしょう。圧力は反発を生みますし、大衆の雰囲気に迎合して自分を変えられる人はそもそも引きこもってないと思われるからです

それよりもどうしたら一緒に楽しめるか?どうしたら一か月先、半年先を想像したときに彼らをワクワクさせられるかを考える方が実りが多いのではないかと思います。

[注意]

上記の文章は身心共に健康だが、なんとなく倦怠感があり外に出れないという人を想定しています。ひきこもりと言われる人の中には過去のトラウマや対人恐怖症、あるいは病気などで外に出ることができない人々もいます。そのような人々には適切な治療と、周囲の理解が必要です。

練習

とある面接に向けて、答えのない(用意されていない)問いに答える練習をブログ上でしていこうかと思います。

注意するポイントは以下

1.論理が一貫しているか?

2.建設的でポジティブなものか?

3.疑問への回答になっているか?

etc...

ここは後々変更していくかも

Coursera 機械学習

Courseraというオンライン講座が提供している機械学習の講座を修了しました。

www.coursera.org

本講座ではOctaveというMatlabに似た言語を使い機械学習を学びます。細かな内容の紹介は他のブログでされているので、そちらを参照いただけたらと思います。

私はこれまでC言語を使った簡単な数値計算などはしたことがあったのですが、あまりプログラミングに慣れておらず、Octaveを使い始めるまで苦労しました。

しかし、慣れてしまうと行列計算をするのが簡単だな感じました。

私はPythonを使っていなかったのでOctaveを導入することに抵抗はありませんでしたが、プログラミングに精通されている方にはそこがネックになるのかなと思います。

なお、お金を振り込むと(幾分高かったですが)証明書がもらえます。機械学習の分野ではこの証明書くらいしか今のところ資格と呼べるものが無いようですね。(知識不足かもしれませんが)

問題は学習が終わったいま、何をするかということですね。休憩しながら考えようと思います。